二つの違う樽詰めにした珍しい「ダブル・ウッド」というモルトもありました。
ボトルはありませんが、モルトの中でも香りが独特のアイル・モルト。
ヨードの香りもします。でも美味い。
さて、アバディーンです。北海油田のため、ちょっとしたバブルが続いている町です。
港には海上油田に向かう機材と人夫を載せる船が一杯停泊してます。
でも、油田ももう少しで底をつくそうで、そうなるとアバディーンの景気も終息を迎えます。
アバディーンの町並みです。東のエジンバラは砂岩が多いので、茶色の家が多いのですが、このあたりは御影石が取れるので、白っぽい家が多くなります。アバディーン出身の有名人にトーマス・グラバーがいることは、あまり知られてません。グラバーは19才の時に日本の横浜に渡り、その後、長崎に「グラバー商会」を設立し、亀山社中との武器の売買や長州五傑(伊藤博文など)をロンドンに密航させる手助けをしました。
アバディーン大学の旧校舎
アバディーン大学の新校舎
アバディーン大学はスコットランドで3番目に古い大学です。ノーベル賞受賞者も多く輩出してます。
アバディーンとゆかりのある日本人では竹鶴政孝がいます。ニッカウイスキーの創始者です。
洋酒醸造の腕を買われ、鳥井社長に懇願されサントリーに就職しますが、山崎工場は地理的にウイスキーには適しないと、単身スコットランドのアバディーンに行き、アバディーン大学で醸造を学びます。ここで知り合ったリタさんと結婚を申し込みますが、リタさんの両親に猛反対されます。リタさんはそれでも竹鶴についていくことを決め、二人で日本に帰ります。日本に帰ってから竹鶴は地理的にスコットランドに似ている北海道の余市でウイスキー作りに励みますが、大麦を作るだけでも時間がかかります。その間、収入がないので、リタさんの発想で余市で取れるリンゴの中で出荷できないキズものを高値で購入し、りんごジュースを造り販売しました。このときの工場の名前が「日本果汁」といい、のちの「ニッカ」になりました。またリタさんとの間には子供はいませんでしたが、当時は外人とのあいだに生まれた子供は「あいのこ」と言われていたのを恐れて、つくらなかったそうです。現在は余市工場が見下ろせるところに竹鶴とリタさんは並んで眠っています。
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